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20131210Tue
 >薄っぺらに雨

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降ってるんだか降ってないんだかよく分かんないけれども、そりゃあ晴れの日に比べたらどうしたってじっとりして体が重いし低気圧のせいか偏頭痛はして濡れそぼったシャツはビタリと肌に張り付き茶色の前髪からは雫が落ちてそういえば今朝見た猫もにゃんにゃん言いながら顔を洗ってたよ、やっぱり何だかんだで降ってんだよなぁ雨

という初夏の日、親父は焼かれた。

長男なんだから実家の近くに居て欲しいと希望する両親に無理を言って入学した地方の国立大学で、右も左も分からぬ新歓の時期に上手いこと口説かれ演劇部に入ってしまい、それまで全く興味のなかった演劇というシロモノに何故かズブズブと足をとられ、ヤニ臭い部室でパックの安焼酎をあおりながら喧々諤々と演劇論なぞを交わしたりもしたが、何のことはない僕はただ淋しかったのだ、淋しい馬鹿のかかる病気にかかっていたのだ、略して淋病だ、もしくはただの馬鹿だ、ということに気付いたのは、ろくすっぽ授業にも行かぬまま留年し続けた大学を中退し、東京へ行けば何か面白いことがあるんじゃないかという甘ったれた考えと焼酎に酔った勢いを共にして夜行列車に飛び乗り、思ったよりも寒い首都の4月の夜、ジージャンを羽織っただけの服装で西武新宿駅前のコンクリートに横たわり、過去に別れを告げるんだ俺はこれから生まれ変わるんだと格好をつけて携帯電話を捨ててしまった自分を蔑む余裕も無くガチガチ歯を鳴らしながら、東京じゃあ……尺八奏者が……ストリートをやるんだなぁ……と、空腹のために回らなくなってきた頭でぼんやりと考えていた、のを懐かしく自嘲気味に思い出し、舞台本番後の打ち上げの席で大半を占めるようになってきた自分より年下の役者・スタッフ達に、馬鹿な先輩の笑い話として話せるようになってからだった。

僕はもう三十歳になっていた。

小学生の頃、自分の将来を想像して年表を書いてみましょうという課題を出されたとき、周りの友人達が適当にさっさと仕上げていくのを横目でうかがいつつ、あらゆる可能性に考えを巡らし緻密に妄想の時間を積み上げて行く過程に疲れてしまった僕は二十五歳で自分を不慮の事故で死なせることにした。二十五歳、四大をストレートで卒業したのちの社会人3年目。大学で出会いった年下の妻との間に2歳になる娘が1人、を残して僕は車に轢かれて死ぬ、おそらくは雨の日に。わずかな保険金を手にした妻は娘と共に実家に帰りパートタイム事務員として働き始めた会社にて、似たように妻に先立たれた上司と恋に落ちて再婚、2人はお互い長生きして過ごすだろう。まだ出会ってもいない年下の妻がなんとかやっていけそうな未来をわら半紙の上に切り開き、小学生の僕はシャーペンを置いた。すでに休み時間になっていて、級友たちは外で遊んでいた。そう、思えばあの頃から要領が悪かった。決して頭は悪くなかった、ただ生きる要領が悪かった。かつて二十五歳で死ぬはずだった僕は、三十になっても生きる要領が悪いまま、なんといまだに演劇をやっている。小学生の頃の僕にはおろか、大学生の僕にこのことを言ったって信じないだろう。舞台出演が決まるたびに長期の休みをとる必要があるので社員にはなれないんですと誰にともなくえへらえへらと言い訳をし、ではどこかの劇団に所属はしないのかと聞かれると自分のスタイルでやりたいようにやってたいんでフリーなんスと軽薄な必死さで答える、三十歳の男。

人生詰んだ、のか。

おそらく僕が役者としてこの先出来ることがあるとすれば、それはただただ延々演劇を続けることだけであろう。演技の良し悪しというのは具体的に測るのが難しい、けれども上手い役者と共にいれば嫌でも力量の差など分かってしまうものなのである。理屈で分かるのならばまだ良い。そこに言葉や理論があれば何とか出来るのかもしれない。しかし漠然と差を感じるだけで何の手がかりも見つけることが出来ないまま、ともなって僕の演技技術も上を向かないまま、客演常連となった団体の代表がいつもどおり僕に当てて書いたと分かる台本を演じるでもなく、ただこなすことは、果たして演劇を続けていることになるのだろうかと、ふと疑問に思うことも時にあるのだ。まったく要領が悪いと思う。「いやいや、続けることが出来るって一番凄いことだと思うんですよ」と言っていた年下の役者は端役ながら都立ホールで上演される舞台に抜擢された。大学の演劇部同期たちはとっくのとうに真っ当に働いている。彼らから結婚式の誘いは来ないまま。何人かにはすでに子どもがいると聞く。僕の人生は何も始まらないまま終わったのか。このまま東京でくすぶって終わるのだろうか。

なんてうじうじしている僕より先に親父の人生が終わった。

還暦の祝いには実家に帰ったので60歳は越えていたのだろうけれど、実のところ親父が何歳で逝ったのか良く分かっていない。東京に出てからは年に1度帰るかどうかで、特に何の相談もなく大学を辞めてから数年は、親に買ってもらって以来番号の変わっていなかった携帯を捨てる直前に一方的な電話を残したまま音信普通となっていた。以降僕は後悔の押し寄せる暇がないようにととにかく時間を埋めていたし、実家は実家で僕を死んだものとして諦めていたらしい。後に借金をせびるために電話をかけたときその話を聞き、なんだ案外ドライなところもあるんだなと頭の片隅で思った。それからも、たまに実家に帰っても居るのは2~3日で、すぐに東京へ戻るようにしていた。実の意味で大人にならないままの長男にどう接すればいいのか掴みかねて戸惑っている様子の母にこちらもどう話しかけていいやらだんだん分からなくなってきて頭が変になりそうだったし、なにより会うたびに老いていく親父の姿にどうしたって未来の自分を見てしまい、いつか僕が老齢になったときのことが頭をよぎってはぞっとしてしまうからだった。そういえば、と思い出す。親父と僕はおおよそ三十歳の違いだった覚えがある。そうか、親父は三十歳で僕を産んだのか。いや正確に言うと僕を産んだのは母であるからにして、親父が三十のときに僕は産まれたのか。親父はよく笑う人だった。三十歳の僕は、レジ打ちのバイトと舞台の打ち上げ以外ではほとんど笑わない。親父は心から笑っていたのだろうか。


喪主などの一切は弟がつとめる。

放蕩者である長男坊の僕を反省したのかどうか、弟は実家に縛り付けられることになった。近県の大学を出たあと実家に呼び戻され、親父の仕事を継ぐために専門学校に入りなおした。親父は車椅子や義手義足の整備を専門とする職人、義肢装具士だった。フットワークの軽い個人業者として、山間の病院などで評判が良かった。ニッチな注文にも早く対応してくれるからと、大病院にもたびたびお呼びがかかっていた、らしい。僕がそんなこんなを知っていたわけも無く、火葬場で親父が焼けるのを待っているときに弟から聞いた情報だった。親戚やらに聞かれて答えられへんとマズイやろ、と気遣って色々と教えてくれたのだ。俺も一応役者なんだから事情を知らなくても演技くらいできるよ、という冗談に2人とも声だけで笑った。疲れていたのだ。弟はこの数日間の病院・業者・親族・取引先などなどとのやり取りに疲れていた。僕は僕で稽古終わりで訃報を受けて取る物も取らずコンビニでわずかな預金全額を引き出したものの新幹線の片道分にしかならず、新幹線の駅から実家近くの駅までキセル乗車でビクビクしながら私鉄で帰ってきたため精神的に疲れていた。兄弟のそんな差はきっとこれからも広がっていく。

家はガンの血筋だ。祖父も祖母も父もガンで逝った。

父の会社は、他に若い職人がいて1人、その下で弟が見習いをし、経理は母が担当していた。若い職人は対人コミュニケーションに関して障害を持っており、工場での内勤専門だった。弟がわずかに手伝うにせよ営業など外回りは父が一手に引き受けていたということだ。病院が休みの日以外は朝から夜まで車を飛ばし続け、それが終わると自分にしか出来ない製作作業、家に帰っても持ち帰りの事務仕事。休みはほとんど返上で工場に篭る。ゆっくりする間も無く、それに伴ってガンも広がった。もちろん定期健診を受けてはいたのだが、発見が遅れたらしい。即入院、手術だった。営業先でも明るく陽気で人気のあった父が入院したのは、仕事で取引があった大病院だった。顔見知りの医師や看護婦が巡回に来るとあってはなかなか気も抜けなかっただろう。個室が満室だったため大部屋に入って、同室の患者さんからの腰痛の相談にも乗っていたらしい。やがて個室のホスピスに空きが出てこれで少しはゆっくり出来るなぁと笑っていた数日後に、すっと、逝ったらしい。オカンと付き添いを交代するちょうど間やったわ、家族にまで気ぃ遣わせんように逝ってもうて、と弟は言った。

「なあ、兄ちゃん。こんなことになってしもたし家帰ってくる?」
「どうしょうかなとは思とるとこやわ」
「ここいらへんも昔とは違ってだんだん面白なってきとるで」
「あー、せやな」
「兄ちゃんの好きな小劇場とかも、近くの会館に来るようになったんやわ」
「せやけど、東京に比べたら、なあ」
「まぁ、せやわな」

みたいな恐ろしく噛みあわない会話を火葬場からの帰りの車内で弟とはポツリポツリと交わした。運転席には弟、助手席には僕、後部座席に父の骨を抱えた母がちんまりと乗った。母は一言も話さなかった。霧雨をワイパーが払う音以外はまったく静かなエクストレイルの車体は馬鹿みたいに大きい。身体の大きな父には似合う車だったが、3人で乗るには大きすぎる。焼きおわった骨を見るのは、祖父祖母と、これで3回目だったが、身体の大きさに比例して父の骨が多いというわけはなく、規格の大きさに作られているであろう骨壷にちゃんと納まった。三度目ともなると火葬場の人間の説明も何となく覚えているものだ。
「御骨には入れる順番がございます。骨壷の中で小さくお座りになっているようにお入れするんですね。
 まずは足の指の御骨から入れていきます。最後には頭の御骨を蓋するようにお入れして終いでございます」
歳のわりに随分と丈夫で色も綺麗だと褒められた父の骨だが、それでももうエクストレイルの運転席側を体重で傾けたりはしない。母は火葬場から帰るとすぐに横になった。もとより気疲れで参っていた上、僕のことを親戚や近所の爺婆たちに根掘り葉掘り直接的に間接的に探りを入れられ嫌味を言われたのが決定的に胃に来たらしい。母とはこちらに戻ってきてから二言、話しただけだった。「おかえり」「ただいま」「ご飯は」「今はええわ」。前に会ったときより、ずっと歳をとっていた。

居間で弟と二人、無言のまま休んでいるとやがて父の仕事関係の人たちが訪ねてきた。弟は知った顔のようで、定形の挨拶を交わしている。要領よく大人になれなかった僕のことを未だに兄ちゃんと呼ぶ弟の顔が、知らない人間のように見えた。少しタバコを買ってきますと断り席を立ち、少しのタバコってなんだよあの値段で12本入って無かったら暴動が起こるぞと思いながら玄関を出た。本人が居ることで明らかにはばかられていた僕についての質問に弟は今頃答えていることだろう。はい兄です、そうですね大学を辞めて以来こちらには戻ってないので、ええ東京で役者をやっております、いえアルバイトをして何とか食べているようで、はははまあおっしゃるとおりかもしれませんね、いえありがとうございます何かとご迷惑おかけすると思いますが今後ともどうぞよろしくお願いいたします。


詰んだら詰んだと認めてしまえば、残りの人生もなかなか悪くない、はずだ。

傘を持って家から出たものの界隈は僕の知っている頃から随分と変わってしまっており、いやもし何も変わっていなかったとしても今さら行く当てなどあるわけもなのだけれどと、足の向くまま歩いているといつの間にか懐かしい小学校の近くまで来ていた。東京ならば学校のそばでタバコを売っている売店があろうものなら保護者が黙ってはいないだろうがここは田舎。もしかすると、というか時間も有り余っているしと珍しく積極的に、校舎を眺めに行くことにした。僕が大学に入ってすぐ改装があり、もちろん行かなかったのだけれど卒業生たちが集まる会が開かれたのは知っていたので、校舎が記憶にある色と随分違っていることには驚かなかった。不審者を通さないためのものだろう、随分と頑丈そうな校門が行く手を阻んでいた。僕が通っていた頃は猫が押しても開くような門だったのに。大人は校庭には入れない、もう子どもには戻れない。

小学校の脇に小さな駄菓子屋がある。こちらは驚くほど何も変わっていない。いや、校舎が新しくなった分むしろ余計に古ぼけて見える。ジャンプが校区内で一番早く発売するからといって、友達と争って買いに走ったのをぼんやり覚えている。ジャンプを買うようになるまでは、付録が付いているような学年誌をここで買っていた。この田舎に他に書店なんてなかったのだ。付録を組み立てる権利を争って弟と殴る蹴る噛む叩くのケンカをよくしたのを覚えているが、僕たちは昔から仲の良い兄弟と言われてきた。僕は弟の面倒をよくみる兄で、弟の方は兄をよく慕っていると。僕がどんなことを考えて弟にどんなことをしてあげていたのか、今となってはあまりよく覚えていないし、弟が僕を未だに慕っていたとしたらとっくの昔に太陽は西から昇っている。

校門が開く音がして目を向けてみると、門柱とのわずか数センチの隙間を抜けて大きいバンワゴンがぬっと出てくるところだった。数センチもずれればコンクリート製の柱で車体をこすってしまうという間隔を見事に抜ける技術。石と石の間から体をくねらせ出てきたウーパールーパーを思わせた。運転席と助手席に1人ずつ青い作業着の中年男性がボーっとした目つきで乗っている。この雨の中、何の作業をしていたのだろうか。作業着のところどころが濡れてまだらな紺になっている。漏れ聞こえるカーラジオの音、聴いたことのない歌謡曲。狭い道なので傘をさした人間つまり僕みたいなのがつっ立っていると邪魔にしかならない。大人しく傘をたたんで駄菓子屋の軒先へと身体をどけた。すると驚くことに駄菓子屋のドアがすーと開いたのだ。こんな骨董品みたいな店に自動ドアとは不釣合いだろうに。来客を知らせるブザーが平日昼下がり、僕とワゴンしか動いていない世界で敵機の来襲を告げるかのように鳴り響いた。店の奥、異界に繋がっていると思われる陰からじょりじょりと畳をこする音を立てて人間が現れた。人間、としか言いようがないほど外見には性差を見出せない。僕たちは店主を見て、人は歳をとると男女の区別がつかなくなるということを学んだ。校外で学んだことほど社会に出てからは役に立つ。わずかな記憶に残っている印象と寸分違わない姿形、つまり店主の老婆は僕の幼い頃から外見的には全く歳をとっておらず、どうやら彼女が妖怪であるらしいという小学生の噂は的中していたらしいなどと思っていると、当の本人からジロリとぬるい視線を注がれた。通り過ぎるワゴンの圧で背中を押されたように思わず店内に足が進んでしまう。背後で自動ドアが閉まると、どうやらあちらも自動らしく校門の閉まる音が店内にややくぐもって響いた。ラジオの音がゆっくりと遠ざかっていく。

いまどきの小学生はこんなもので喜ぶのだろうか、という商品が店の棚を埋めている。柱時計が秒を刻む音だけが店内に時間として流れている。昔は何も買わないで店を出ることなんて平気だったが、今はそれが出来ない。何か買わなければ面目ない、としか思えない。なぜなんだろう、と思いながら商品を一つずつ眺めていると製造時期が怪しいスティック型ののど飴で目が止まった。手持ちの小銭で買えて、喪服の大人が持っていてもおかしくなさそうなものはそれぐらいしか無い、いや他の物を持っていても変ではないのだけれど一応、と自分で自分に言い訳をしてみる。思い出なんていうほどのものではないが、のど飴をなめすぎてはいけないと、演劇部内で付き合っていた一つ年上の彼女によく怒られた。彼女曰く、のど飴は適量ならば良いが、度が過ぎると逆に喉を痛めてしまうのだそうだ。彼女はのど飴を舐めない代わりに、喉に直接吹きかける薬用スプレーをよく使っていた。ロキソニンとハルシオンもたくさん持っていた。僕よりも背が大きかった。ほんとは私より背の高い男が好きなんだけどなーと何かにつけ言っていた彼女は、周りのほとんどの人間からはっきりと嫌われていて、特に女性からはひどく嫌われるタイプだった。他の部員たちに付き合っていることを白状したらあまりに反対されたので、めんどくさくなって別れることにした。それでもしつこく会いに来る彼女とキスした。僕から別れようって言ったくせに。結局彼女とは東京に来るまでグズグズと続いてしまった。随分あとになってからどこかの社長の玉の輿に上手く乗ったとわざわざ噂が流れてくるほど嫌われるタイプの女だった。

のど飴を買う。全部一気に口に入れれば僕の喉は痛むだろうか。そうすればダミ声の役が新たに回ってきはしないか、いや、演技も下手で声の出ない役者なんて干されるだけだな。もしそうなれば諦められるだろうか。何を、だ。諦めるものなど無いし、諦められるものすら無いじゃないか。僕は演劇を続けて行くために演劇をやっているのだ。それは純粋、なんてものじゃない。数学の点や直線の概念に近い。目的のための目的。ジャケットのポケットにちょうど105円入っていたのをお婆さんに渡す。東京で下ろしたお金がこれで全部無くなった。まったくの無一文だ。コンビニ生活に慣れた癖で商品がビニール袋に入れられて手渡されるのを待ってしまう。古ぼけた駄菓子屋でそんなサービスがあるわけもなく妙な間が開いてしまった。ジトついた平日の昼間に喪服でのど飴を買いに来た茶髪の三十男を怪訝な目で見やる老婆。

入荷してからまだ一本も売れていないらしいのど飴は箱にみっちりと詰まっている。箱の開封が下手くそなせいで本来あるはずの取り出し口も開いていない。一番手前のものをつまもうとするが土と木で建てられた店に篭った結構な湿気と暑さによって滲み出た指先の脂ですべってしまい、なかなかひとつを捕まえることが出来ない。老婆は涼しい顔で座っている。爪を短くしておく癖のある僕は、のど飴が並んだ隙間に爪を立てて引っ掛けることも出来ず、ツルツルと滑るパッケージに悪戦苦闘する。そういえば細かな作業道具を使う職人である父は、爪は短くしておく方が好きだとしょっちゅう言っていた。爪の先の白い部分があると引っかかって気持ち悪くて仕方がなくなるんやとこぼしていた。そんな話、いつ聞いたものだったか。僕がまだ自分で爪を切ることが出来ないほどに幼い時分のことだろうか。

爪は短く切っとかんとあかんぞ。道具を使うときに危ないでな。わはは。

あのさ、父さん。僕は父さんの道具を使うことなんて、ないんだよ。

うまくのど飴が取れない。指先の汗と脂がビニールのパッケージに付いてしまい余計に滑りやすくなっていく。もしかすると道具を使わないと取れないのだろうか。あせればあせるほど指先から汗が出てきてしまう。僕が昔通っていた小学校の側にある古ぼけた駄菓子屋で、何度も何度も繰り返す。道具って何なんだよ。のど飴一個が取れないんだ。なんなんだろう、これは。なんなんだよ。ちくしょう、一体なんなんだよ、これは!




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↑思い当たらなかったので、書きました。小説というほど長くないですが。

ずっと途中で放っておいたのを今年中に載せたかったし、
それに雨の降るせっかくのこんな日だし、ね。
お誕生日おめでとうございます、
坂本九、寺山修司、レイハラカミ、ナカイデソントン。

Arctic Monkeys - When The Sun Goes Down



  

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このブログのタイトルは OFZK です
ソントン という人間が書いています
だいたい本を読んでいます





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