20140905 Fri
走れナカイデ


昨日のブログで少しだけ祖父を引き合いに出した。
この祖父とは、同居していた父方の祖父である。


僕の父は全盛期、体重が100kgをオーバーしていた。
それ以外にも僕の家族はふっくらぽっちゃりさんが多数を占めている。
特に母に関しては爆笑のぽっちゃりエピソードがあるのだが、
(現場に居合わせた弟は笑い死に寸前までいったと聞いている)
さすがにここで言うのは母に申し訳ないので、酒の席とかでジャンジャン話していきたいと思う。

いまだかつて体重が55kg以上になったことのない僕は家系内少数派だが、
僕のこの体型は、祖父から隔世遺伝したものなのである。
僕が知っている限り(写真などでも)、祖父が太っている時期を見たことがない。
ただ、祖父は非常に姿勢の良い人だったので、別に体の全てが受け継がれているわけではないようだ。
(ご存知の方も多いだろうが、僕は猫背族の末裔である)

祖父と僕が似ているのは、どうも体型だけであるらしく、
あとのほとんど、僕は父にとても似ている。
見た目とか、正確とか、酒に弱いところとか、完全に父譲りである。
しかし、何度も書いているけど、父は技師装具士という、手先の器用な職人。
一方僕は、手先がクソ不器用で、というかめんどくさいので出来れば細かい作業は避けたい。

さて、祖父である。
もう細かい記憶はないのだけれど、結構器用な人だった、という印象がある。
なにせ話に聞くところによると、
実家の何箇所かは祖父による(今風に言えば)セルフビルド。
僕が生まれてからも、駐車場や小屋やら建てていたくらいだ。
確か肥後守(折りたたみ式の小刀のこと)の使い方を教えてくれたのも祖父だった。

祖父の職業は謎である。
僕は他人事にあまり関心がなく、家族のことさえあまり覚えてないことが多い。
三重の某肉料理店(和田金ではない)で調理の仕事をしていたのは覚えている。
あと僕の実家は祖父が亡くなるまで、田舎の何でも屋的な雑貨店をやっていて、
そこで祖父は朝も早くから市場へ行って魚を仕入れ、
帰ってきて刺身を作ったり、庭の畑を耕したり、
タバコ吸ったり、昼寝したり、毎日相撲を見ていたりしていた。
はて、どうやって肉屋で働いていたのだろうか。早期退職でもしたのだろうか。
ぜんぜん記憶に残っていない。
僕とは違って、弟は家庭内事情に通じているので、多分聞いたら教えてくれるのだろうが、
それはそれでめんどくさいので、多分死ぬまで分からないままだと思う。

初の内孫ということでおそらくは可愛がってもらったのだろうと思う。
かなり自由に育ててもらったおかげで、このざまだ。
祖父祖母、父母ともに、たぶん僕が生きてりゃオールオーケーくらいのことしか期待してなかったと思う。
祖父祖母は父と叔父以外に、一人幼いままで亡くした子がいたらしいので、
なおさら僕や弟はじめ孫には健康第一と願ってくれたのだろう。


僕はいまだに信じられないのだが、父は元バレーボール部や柔道部に籍を置いており、
少しだけ運動が出来る人なのである。
たぶん、体型さえキープできていれば、もう少し動けたんじゃないかと思うけど。
かたや僕は、絶望的な運動音痴として地域にその名を轟かせていた。
幼い頃は体が弱く、ほとんど外で遊んでいなかったということもあるのだろう、
走り方さえろくに知らないレベルの運動音痴だった。
幼稚園の運動会は多分入院してて参加していないし、
小学校の運動会とマラソンはオール最下位だった。
祖父はどれほど運動が出来る人だったのだろうか。
体力はある人だったし、きっと運動も出来たのだろうと思う。


祖父はたしか、僕が中学2年のときに亡くなった。
一年上の部活の先輩に忌引のことを話した覚えがある。
祖父祖母ともにガンで亡くなった。ガン家系であるらしい。
“ガン家系”と書くと、なんか新種のラーメン屋っぽいというどうでもいいことに今気づいた。

これもいつだったか覚えていないけれど。
祖父がガンの手術をして胃を取り、元々痩せていたのが、
さらに細く、木の枝のようになっていっていた頃のことだ。
亡くなる直前のことだったので、やはり僕が中学2年のときのことだろう。
学校の運動会があった。
運動音痴にしてみれば金を積んででも回避したいイベントである。
後年、高校生になった僕は諸々のイベントの期間を、
部室で寝て過ごすという裏技を覚えるのだけれど、
中学生ではそうも言っていられない。強制参加である。
強制参加まではいいのだけれど、活躍できるような種目は皆無である。
100m走などなどのガチ競技は陸上部や野球部のメンバーが当然出場するし、
障害物競走などのソフト競技は中学生女子の異常な組織力によって埋まっていく。
このとき僕が何の個人種目に出たかは覚えていない。
おそらくはソフトなやつに出たのだろうけど、覚えていないということは当然最下位だったのだろう。

個人競技とは別にもう一個、避けては通れぬ競技があった。
全員リレーである。
クラス対抗、全員で走ってその結果を競い合わせるという残酷極まりない競技だ。
自分のせいで負けたともなると、その負い目を背負ったまま嬉野で生きていかなければならない。
そんな十字架をわずか14歳の少年に背負わせるだなんて。

そして練習が始まった。
出来ることならずっと本を読んでいたいと思いながら、しぶしぶ走る俺。
ところが、だ。
なんとなくではあるが、走れるではないか。
それまで走り方さえ知らなかった人間が、である。
自分でも驚いて、コケそうになるくらいだった。

今から考えるに、吹奏楽部に入って一年、無駄に大きい楽器ことチューバを毎日吹き続け、
肺活量が増したのが一番大きかったんじゃないかと思う。
そういえば体調も悪くなることが少なくなっていた。
(ちなみに肺活量関係なく、生まれつきの反射神経の悪さのおかげで、この1年後、
 人生最大級の骨折をすることになるのだけれど、この時はもちろんまだ知らない)
田舎の中学校の吹奏楽部にありがちなこととして、
運動場のトラックを走ったり、腹筋背筋もしていたし、
なにより、昔っからの寝坊癖のため、実家から徒歩10分の中学校まで、
遅刻寸前で走りこむ日々を過ごしていたのが効いた。

あとは、きっと何かの本で読んだのだと思う。
裸足で土を掴むように、
手はほんの軽く握るように、
目線は常に前に、
バランスを体幹に、
腕を振って、足を蹴り上げ、
そんなイメージで走った。

そしたら、本番で、一人抜いてしまった。
しかも、野球部員を。
運動が苦手だという極めて消極的な理由で吹奏楽部に入ったようなやつが。

家から近いので、病態の安定していた祖父も応援に来てくれていた。
健康第一に育ててくれた恩は、あのとき少しだけ返せたんじゃないかと思っている。


そういえば、祖父はずっとセブンスターを吸っていた。
僕が吸っていたタバコも最後はセブンスターだった。
小学校の夏休み、早朝から問屋への仕入れに付いていったとき、
祖父に飲ませてもらったUCC缶コーヒーの味だけははっきり覚えている。



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