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20170820 Sun
ワークショップ2日目


パソコンで見てる方へ。トップに載せてるYouTube、たまに変えます。
選曲はそのときの気分です。よかったら聴いてみてください。
リクエストがあれば言ってください。無いわな。
あと、読んだ本の記録をインスタでやってみることにしました。
“インスタ映えする”っていうことを、最近の若い子たちは「ばよえーん」って言うらしいですよ。
嘘々。



引き続いて、ワークショップの2日目。
昨日帰ってきて、積読の山から引き抜いた、
砂連尾理『老人ホームで生まれた<とつとつダンス>』(晶文社)という本に書いてあることが、
今回の講師の言うことと似ているような気がして、2日目がはじまるまでに一気に読んだ。
あまりに一気に読みすぎたので、また読み返すことがあったら、内容や感想は書いてみたいと思うけど。
強引にまとめてしまうと、この本でいうダンスをするときには、
対象が何であっても受け取れるように体を開いておく、ということが書かれている。
この著者は本の最後では「不在の在」とまで踊ってしまうのでそれがすごいのだけれど。
とりあえず、この本を読んだことで、昨日よりは気負うこともなく参加できた。

まずは昨日と同じく、2人1組で、互いの体を自由に動かすところから始める。
(この作業を「マニピュレーション」と呼んでいた)
腕よりも足が重いこと、体の裏よりも表側の方が感覚がするどいこと。
昨日は探りきれなかった関節と筋の関連など、なんとなく触ることができた。

次に、これも昨日と同じで、全員で大の字に寝転がり、
深い呼吸で、体の重さを意識し、また、中心線も意識する。
右手の中指が外から引っ張られて、左わき腹へと入っていく感じで、うつぶせに転がる。同じように戻る。
動きの動機が外部にあるということを意識してみる。(結局は自分で自分の体を動かしてしまうわけだけれど)。
反対向きや、手を脇腹ではなく頭上へ持っていったり、
戻るときに今度は手の指ではなく足のつま先が引っ張られるようにもする。
それらが終わると昨日の復習で、右脇腹の一点に向け体を収縮させていき、そのまま土下座のような姿勢へ。
つま先を立て、腕をガイドに、足の裏をゆっくりつけていくように体を起こし、しゃがみ込むような姿勢に。
寝ころんでいたときは全体で感じていた体の重みが、足の裏に乗っていることを感じるように。
尾てい骨が引き上げられるように、そして背骨が1つずつ起きるように、立ち上がっていく。
ニュートラルの姿勢。
ゆっくりと膝を曲げていき、戻す。ゆっくりとつま先立ちになっていき、戻す。

その後さっそく動きへと入っていった。
昨日と同じように、2人1組になって、向かい合って正座。
流れている音楽、相手の動き、ほかの音、観ている人の視線、などを意識しながら、
1人ずつ、動き、ポーズを決めて止まる。
相手のポーズを受けて、もう一方も動き、止まる。
演者が考えていることは動きだけであっても、
観ている側はそこから意図や情緒・感情を引き出そうとする。

今日は、音楽ではなく、宿題として出されていた歌を歌いながら動きもした。
歌詞が日本語であり、またメロディーも温かいものであるため、そこに意味が発生する。
歌いながら動く、というのを練習していくと上手くなってしまうのだろうけど、
はじめての段階では、それ以前のものが発生する瞬間がある。
僕は歌詞を間違えてしまったけど、何とかやった。
意識しなければいけないことが増えていくにつれ、当然難しくなっていく。

次に、2人1組で動くのは変わらないのだけれど、
1人が、もう1人の周りを、初めからグルグルと時計回りに回っている。
音楽のきっかけを自分で作り、止まっている方を動かす。
どういう動きで、どこへ行ってほしいかを体で伝えながら、
一緒に動き、とって欲しいポーズを作って止まる。
動かされていた方は、そのポーズを真似して止まる。
ポーズが決まったら、真似した方のポーズの違っているところを修正してあげ、
正解になったら、相手を円の動きに乗せてあげ、交代する。
文で書くと難しいが、以上のような作業をやった。
次に、音楽ではなく、詩の音読に合わせて。
最終的に、詩をリフレインさせてやったりした。
(もちろん僕は、詩の大事なところで噛んだ)

詩の音読は、動いている2人の体に影響されるし、
動いている2人は、詩の読み方や、読まれている言葉や単語自体にも影響を受ける。
自分から何かしようというのではなく、周りからの影響で出てきたものを出してみる、という感じだった。

ここで一旦終了となり、ここからはオーディション希望者による面接になったため、
劇場の方とご挨拶して、僕は先に帰ってきた。


普段僕はストーリー優先で舞台やほかのものも見ているのだけれど、
その空気・構造自体や、舞台だったら生身の人間が演じているということ、そこから出ているもの、
そういったものにも目を向ける機会になったと思う。
「テキストはテキストであり、体はまた別のものである。
 動きの可能性は無限にあって、よってテキストとの組み合わせも無限にある。
 テキスト上の意味や登場人物の人格などに引っ張られすぎているときもあるので、
 そういうときは考えを一度体に戻して、ニュートラルな状態を作る」
というまとめがあった。
どうしても普段(このブログもそうだけど)は言葉偏重になってしまうので、
体を意識すると面白いことが出来るのだと思う。
体を普通に動かすだけでも、自分で意識できることはあるし、
観ている側の脳内に発生してしまう意味、みたいなものもあるのだろう。



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